伝説の日本刀:塵地螺鈿飾剣

伝説の日本刀:塵地螺鈿飾剣 塵地螺鈿飾剣を含む日本刀は、鎌倉時代に確立されたものが多く、特徴としては持つ者が誇りに感じることができる内容となっています。
日本人がかつて護衛のために所持していたものより高級なものが存在しており、塵地螺鈿飾剣は地位の高い人が所持していました。
また直刀であったことから、正面からの切れ味に優れていたため、戦の際には多くの人が塵地螺鈿飾剣をもって挑んだというエピソードも残されています。
武力を強固なものにしていく際に必須となった日本刀を用意していくことにより、良質な日本刀の生産や鍛冶職人の育成が発展していったのです。
伝説の武器を所有している喜びを当時の人がどのように感じていたかを考えることは、歴史のロマンに足を入れるということにつながっていきます。
よって中国から日本へ伝来したものの中に武器が数多く入っていたことから、武士にとって鋭い剣は最高の相棒であったわけです。
伝説の日本刀は最新のゲームにも登場しています。

伝説の日本刀:大典太光世

伝説の日本刀:大典太光世 大典太光世は日本の国宝に指定されている日本刀で、正式には太刀、銘、光世作、名物大典太といいます。
日本刀の中でも特に名刀と言われた5本を集めた天下5剣に含まれています。
平安時代後期の筑後の刀工典太光世の作品で、もともとは足利将軍家の下方でしたが、足利家が没落したことで流出し、豊富秀吉の所有となりました。
その後前田利家に贈られたという説と、徳川家康にわたり秀忠から前田利家に贈られたという説があります。
刀身は66.1センチで切っ先の幅は2.5センチ、反りは2.7センチの外観で、茎から刀身の5分の1ほどまで鎬筋に沿って腰樋と呼ばれる様式の樋が彫ってあり、同時代の太刀と比べても非常に身幅が広くかつ刀身の長さが短いという独特の外観を持っていました。
この刀に関するエピソードとしては切れ味が非常に鋭いことが有名で、江戸時代に行われた試し切りにおいては、大典太での試し切りにおいて、人体を3人分重ねて切ったところ、3体目の背骨でようやく止まったというものです。